大阪高等裁判所 昭和60年(ラ)302号 決定 1985年10月18日
抗告人 山東順二
主文
本件抗告を棄却する。
抗告費用は抗告人の負担とする。
理由
一 本件抗告の趣旨と理由は別紙(一)〔略〕(二)(三)(四)記載のとおりである。
二 当裁判所の判断
わが国の現行帰化制度、戸籍法上の氏、昭和59年法律第45号による国籍法及び戸籍法の一部を改正する法律の各趣旨を斟酌しても、本件事件記録に顕われた原審判理由3項(1)ないし(15)記載の事実その他諸般の事情からは戸籍法第107条1項所定の氏を変更するに足る「やむを得ない事由」に該るものとはいえないし、他に右事由を認めるに足る的確な証拠がない。
一件記録を調査しても、他に原決定を取消さねばならない違法の点は見当らない。
したがつて、原決定は相当であつて、本件抗告は理由がないからこれを棄却し、抗告費用は抗告人に負担させることとして、主文のとおり決定する。
(裁判長裁判官 廣木重喜 裁判官 長谷喜仁 吉川義春)
別紙(二) 即時抗告の申立理由(一)
抗告の実情
1 抗告人は、1956年1月4日に生まれてから1971年7月に日本国籍に帰化するまでの15年6ヶ月は、本名として金を名乗り、同本名は当然のことながらすべての公文書上に記載され、かつ少くとも朝鮮人間においては抗告人の唯一の氏として通用してきた。山東という氏は、対日本人関係という生活の一面において、あくまで便宜的に使用していた通称にすぎない。
原審判は、その理由(1)において、あたかも抗告人が帰化前は「山東」姓のみを使用していたかの如く認定しているが、以上のとおりこれは重大な事実誤認である。また、同(2)では、「昭和37年4月○○小学校に入学、氏名は「山東順二」を使用していた・・・・・・」とも認定しているが、同認定も、上と同様の意味において間違っている。帰化するまでの抗告人の氏は、本名としての「金」と通称としての「山東」との二通りであつたと解すべきである。
2 抗告人が帰化後再び生活のあらゆる面で明確に「金」姓を名乗り始めた大学1年生のときから今日までだけでも、すでに11年が経過している。したがって帰化前の15年6ヶ月と通算すると、「金」姓は、実に26年6ヶ月の間、抗告人の氏であった訳である。原審判は、「止むを得ない事由」の存否の判断について種々論じているが、この事実の重みに気付かなかったか、これを故意に無視したため、判断を誤ったものと思われる。
3 抗告人が「金」姓を法的呼称として獲得することによって、何らの呼称秩序の混乱も予想されないことは、本件疎明資料によつて明らかである。「山東」姓が抗告人の法的呼称であつたのは、わずかに14年足らずのこともあり、先行する「金」姓のそれが15年6ヶ月もあったこと、社会生活のあらゆる面で再び「金」姓を使用するようになってすでに11年が経過していること等、法益の比較衡量によっても、「金」姓への変更を拒否する理由はないものと確信する。
4 よって、抗告の趣旨どおりの裁判を求めるため、本申立をする。
別紙(三) 即時抗告の申立理由(二)
1 原審判の論理
原審判が本件申立を却下した論理は、戸籍法の解釈論とその当てはめの部分とに整理することができる。
(1) 戸籍法107条1項の解釈論
原審判は次のようにいう。
「戸籍法第107条第1項にいう『止むを得ない事由』とは、同条第2項の『正当な事由』と異なり、よりきびしい事由が必要と解される。」(理由の3))
「氏の変更は、呼称秩序の静的安全の確保という法益と個人の氏の変更意志と変更自由との尊重という法益の比較衡量により判断される」(理由の4))
抗告人も、原審判のこの法解釈については異論がない。
(2) 同項の当てはめの部分
原審判は、(1)から(15)までの事実を認定した(その事実誤認部分はすでに即時抗告の申立書で指摘したとおりであり、また、本補充書添付の本人の補充書でも触れている)上で、それでも本申立を却下する理由を次のとおり述べている。
「申立人についての以上認定の各事実関係の程度では、未だ永年使用として『止むを得ない事由』に当たるとは言い難く、申立人の心情は理解できないでもないが、未だ『止むを得ない事由』が存するとは言えない」(理由3)の末尾部分)。
以下に述べるとおり、原審判のこの当てはめには重大な誤りがある。
2 原審判の誤り
ところで、原審判は、上記に摘出した当てはめ部分においても、「止むを得ない事由」の存否をどのように判断したのかを全く示していない。ただ単に「未だ、永年使用として『止むを得ない事由』に当るとは言い難」い、と断定するだけである。戸籍法の解釈として、「人の変更は、呼称秩序の静的安全の確保という法益と個人の氏の変更意志と変更事由との尊重という法益の比較衡量により判断される」と、判断基準を設定したことがまったく生かされていない。
原審判はその一方で、「以下認定のとおりの各事実の認められるような場合には『正当な事由』があると解するのが相当である」とも述べている。すなわち、本申立の判断にはかなり微妙なものがあつたことをうかがわせているのである。それにもかかわらず、却下の審判をするについては、氏の変更における呼称秩序の静的安全の確保という法益の重さが、どのように抗告人の氏の変更意志と変更事由の尊重の要請を上まわったのかを示さなければならない筈である。それをなさずして本申立を却下したことは、理由を示さずして審判を下したに等しく、重大な違法がある。
原審判は、この点において、とうてい一般人を納得させることができない。
3 申立人には「止むを得ない事由」がある。
原審判の採用した法益の比較衡量の方法によって判断すれば、本件申立には十二分に「止むを得ない事由」が存することが明らかである。
以下、まず、抗告人の側の法益について論じ、次いで、社会的法益の内容を検討し、最後に両者の比較衡量を試みる。
(1) 抗告人の氏の変更意志と変更事由の尊重という法益について
いずれの国の法制によっても、子は出生によって、その父母の氏と関連ある氏を与えられる。
そして、その氏は名とともに、その者の自己意識において自己の全人格を指し示す呼称となり、他方、社会的にはその者を他の者から識別特定する呼称となる。
したがって、このような意味をもつ人の氏や名の変更の問題は、常に2つの側面からこれを考えなければならない(以下、問題を単純化するために、本件に測して氏の変更の問題として論じる)。その第1の側面は、氏の変更を強制することは、人格権の否認として基本的人権の侵害となるということである。言葉を換えていえば、氏はその者の人格と深くかかわっていることに留意しなければならないということである。その第2の側面は、いわゆる呼称秩序の静的安全の確保の要請である。ここでは、このうち、第1の側面についてのみ論じ、第2の側面については、次の(2)で論じることとする。
さて、人は、その氏に特別の感情を抱いている。俗に「名をけがす」とか「名前を傷つけられた」とかといわれるのも、氏に伴い形成される特別の名誉感情、人格権の意識の重大さを証するものである。その氏の変更を強制されることは、その者の形成してきた人格のすべて(父・母とのつながり、親族とのつながり、生まれた土地・文化とのつながり、その氏によって過去つながってきたすべての者の思い出等を否定されることである。このようなことは、憲法13条の「個人の尊厳の尊重」に違反するというべきである。
そして、「日本国憲法の基本的人権保障は、その性質上適当でないものを除き、原則として在留外国人にも適用される」という最高裁判所の判断に照らしても、この法理が在日朝鮮人にも適用されることは明らかである。
しかるに、少くとも昭和59年の国籍法の改正までは、外国人の帰化申請に際して、「日本人としてふさわしい氏に変更すること」が法務省通達等の行政指導によって事実上強制されていたことは公知の事実である。法務省当局は、この扱いを基本的人権の侵害であるとは考えていなかったようであるが、国籍法・戸籍法の改正論議の中で、その誤りが指摘され、結局従来の扱いを改め、疎明資料91に示されたような取扱を新たに打ち出したものである。
抗告人は、旧国籍法・戸籍法の下で父母が帰化申請をしたことに随伴して、日本国籍を得た。その際、抗告人の意思は一切問われることはなかつた。抗告人の父母、当時の行政指導に従がい、当然のこととして日本式の氏を定めたのであり、この日から抗告人の氏も自動的に山東となったのである。抗告人の父母にとって山東という氏に変更すること(法的に金という氏を失うこと)がどんなに止むを得ない選択であったとしても、1個の人格としての金順二にとっては、その父母の選択に従うことを強制されたことは、その基本的人権の侵害であったという他はない。
かくして、自己の意思によらずして金という氏を喪失した抗告人が、その後成人するとともに、自己の同一性の回復、主体的自我の一体性の確保のために、失われた氏・金を名乗るようになったことは極めて自然であり正当であったというべきである。
以上、要するに抗告人の氏の変更意志と変更事由は、旧姓の回復であるという事実に着目すれば、朝鮮人出身の日本人としての自己同一性の獲得という切実なものであり、充分に尊重に価するというべきである。
単に「恥ずかしい」(例・「御手洗」)とか、「読みにくい」(例・「度会」)といった理由による氏の変更ですら、呼称秩序の静的安全の確保に優越する法益があるとして、許可の審判がなされるのに比べれば、それは、はるかに重大な法益の主張であることは疑いがない。
(2) 呼称秩序の静的安全の確保という法益の考え方
抗告人も又、呼称秩序の静的安全の確保は重要な法益であることは承認する。しかし、同時に、それは絶対的なものではないし、具体的場合においては、他の優越する法益の前に、簡単に道を譲ることも多いのである。先に例として挙げた「御手洗」という名が恥ずかしいとか、「度会」という名が読みにくいとかいう、それ自体としては個人的な感情や不便さにすぎないことであっても、ただその個人的感情や不便さが一般人の観点からしても首肯できるということによって、呼称秩序の静的安全の確保が引き下がり、氏の変更が許されるのである。ことからの性質上、これらの場合における変更後の氏は、従前の氏とは何の関係もない氏が選ばれることが予想されるが、それでも止むを得ない事由があるとされているのである。
ところで、変更後の氏が、従前その者が何らかの機会に名乗っていたものである場合における氏の変更もある。
民法791条は、子が父又は母と氏を異にする場合には、家庭裁判所の許可を得て、その父又は母の氏に変わることができる旨、及びそのようにして氏を変わった未成年の子は、青年に達した時、一定期間内に単に戸籍に届出るという簡便な手続により従前の氏に復することができる旨を定めている。この規定の特徴は、呼称秩序の静的安全の確保よりも、子の人格権の保護、とくに成人に達した子に主体的に氏を選択する自由を重視・尊重した点にあると考えられる。
抗告人が父母とともに金姓から山東姓に移った経過及び現在は旧姓である金に戻りたいと望んでいる事情は、この民法791条の想定している場合と本質的に大きな違いはない。ただ、金姓が日本の戸籍法上の氏でなかった点において、通常の氏の変更の手続き同様、家庭裁判所の許可を必要とするにすぎないとも言えよう。
(3) 比較衡量
原審判は、抗告人は単にその本来の姓であった金に戻ることを望んでいるに過ぎず、何かまったく新しい氏に変わることの申立をしたのではないことを軽視しているようにうかがえる。本件申立のような場合における呼称秩序の静的安全は、許可の審判によってして損われるとは考えられない。帰化後のたかだか14年間の法的呼称である山東を、帰化前15年間の法的呼称でありかつ、最近11年間社会生活のあらゆる場面で使用されてきた金に戻すことが、どれだけ社会に混乱をもたらすというのか。
それに比して、金姓に戻りたいという抗告人の動機は極めて切実であり、かつ、憲法で保障された個人の尊厳の尊重につながる重いものである。そこには、債権者の追及を免れたいとか、組織における自己の立場を強化したいとか、自己同一姓の回復以外の何らの不純な動機もない。法益の比較衡量によれば、抗告人が氏の変更を求める理由に見られる法益の方がはるかに優越していることは明らかである。
4 結論
以上の次第であるから、原審判の呈示した戸藉法の解釈論からしても、本件申立には「止むを得ない事由」があるから、抗告人の氏を金姓に戻すことの許可の審判をなされたい。
なお、添付したのは、抗告人本人による抗告理由の補充書であるので、併せて検討されるよう希望する。
以上
別紙(四) 即時抗告の理由(抗告人本人による補充)(三)
1 はじめに
私はこの春、私自身の氏変更のための申立を代理人をとおして行いました。この間、2度にわたる調査官の調査をうけ、昭和60年6月19日に、申立を却下するという審判をうけました。
さっそく審判を読んだところ、あまりにも基本的な事実誤認があったので、納得できず即時抗告を申立ました。
2 事実誤認の内容
まず3)の(1)の「金姓を通称として使用する前約20年間「山東」姓のみを使用していること。」の指摘は、私が再三再四にわたって調査官にお話した事実とは全く異なることです。一般的に在日朝鮮人が通称として日本的姓を名のっていても、たえず法的な所では本名である朝鮮名を名のること。今でもはっきりと憶えていますが、たとえば高校受験の時、私学と公立の2校を併願で受験した時も朝鮮名の金で受験しました。また、朝鮮人社会のつきあいの中でも朝鮮名をごく当たり前のこととして使用していました。ましてや帰化以前における法的名称を無視して「20年間「山東姓」のみを使用していたこと。」という認識は重大な誤りだといわざるをえません。
在日朝鮮人が通称として日本的姓を名のることは、日本の植民地支配の歴史的経過と今日にもおける差別的な日本社会の現実があります。日本政府は1939年にいわゆる「創氏改名」という世界に類をみない非人間的な政策を強行しました。この法律によって日本的「氏」の強要をする一方、「氏」を変更しない朝鮮人については、あらゆる社会的な制裁や奸悪な方法で圧力を加えました。これによってその後、すべての朝鮮人ば「日本的氏」を名のらざるをえませんでした。それから日本が敗戦して今日においても、陰に陽にある民族差別の状況が通称名を強要している事実。これらの在日朝鮮人が通称名を名のらざるをえない原因は枚挙にいとまがないほどたくさんあります。したがって、在日朝鮮人の名前を考える時、事実はそれほど単純ではなく、これらの歴史的経過や現状を見ないかぎり理解できません。どの民族であっても自分の本当の名を捨てて、他の民族の名を喜んで名のることが考えられるでしょうか。いずれにしても、約16年間の朝鮮名を名のっていた厳然たる事実を誤認しているといえます。
次に3)の(2)「昭和46年7月父母及び兄と共に日本国籍に帰化」と言う記述ですが、表面的な事実についてはその通りです。しかし、前回の申立書にも書いたのですが、日本の帰化行政上における「家族ぐるみ帰化」と「日本式氏名の強制」の2点について言及されていないことについて極めて残念だと言わざるをえません。これは今年施行された国籍法をみても理解できると考えますが国際結婚によって生まれた子供の国籍選択権を20歳の段階で与えているということや外国姓を日本国籍であっても認めているということは、けっして私のような帰化者にとっても関係がないとは思えません。そもそも、帰化行政上において「家族ぐるみ帰化」ではなく「単独の帰化」ということが認められているか、さもなくば子供の帰化については成人の段階で選択をさせるような要件があるならば今回のようなケースはおこらなかったのではないでしょうか。
また、帰化する時の氏名について国籍法の条文には、日本に帰化する場合には「日本式氏名」に改名しなければならないとは書いていません。しかし、法務省民事局第五課編「最新国籍・帰化の実務相談」という手引書で帰化申請上の注意として、「帰化後の氏名は自由に定めることができますが、日本人として、ふさわしいものにしてください。」と指示していることや法務局の窓口で「日本人としてふさわしい氏名にするように指導されている事実があります。これらの帰化の許可には法務大臣の自由裁量の幅が広いので、帰化申請者は「日本式氏名」に改名しないと許可されないのではないかと心配し、不本意であるが、「日本式氏名」を使わざるをえないことろに追いこまれてきました。このような世界に類をみない非人間的な「日本式氏名」の実質的強制がなかったならば、今回のようなケースはおこらなかったのではないでしようか。私は帰化行政上の諸々の問題性を見ない限り「帰化者の氏名」と言う事自体が見えてこないと考えます。そういった意味でも昭和57年に私とよく似たケースのベトナム人帰化者○○○さんの氏変更を認めた神戸家庭裁判所の審判は当然なものとうけとめています。
次に3)の(13)の「○○○○高等学校に勤め出してからここ7年間は殆ど「金順二」を使用しており、」という記述ですが、この点も事実誤認であります。審判文にも書かれていますが、大学時代から「金」を使いはじめてから殆どの局面において「金」を使っています。したがって、7年間ではなく、約11年間ということになります。
3 私の本名は金です。
私が今年の春、氏変更のための申立をしようと同僚をはじめまわりの知人、友人に話をしたところ、異口同音に「認められるだろう。」という言葉をいただき、特に職場からは管理職も含め同僚の方々から要望書を書いていただきました。また、私自身の問題であったので、当初相談をしなかった両親にも、私の申立について同意してもらいました。しかし、このような状況があるにもかかわらず大阪家庭裁判所の審判は、私の申立を却下されました。正直なところ私は、この審判が最初、代理人から聞いた時には信じることができませんでした。もちろん、私の両親や同僚、友人の方々も私の気持ちと同じでありました。帰化するまでの約16年間と大学1年からの11年間、あわせて約27年間もの実績としての「金」という姓は一体、何だったんでしょうか。職場を含めた公の部分とすべての個人的なつきあいにわたる私の部分において「金」姓を名のっている現実は何なのでしょうか。
「金」姓は芸名やペンネームではありません。私が生来から受け継いできた本当の姓であります。私はこの姓がたとえ国籍の移動があっても変わらないものと確信しています。
私が生来から受け継ぎ、変則的であれ27年間にわたって使っている「金」姓の変更が認められても、あらゆるところについて一切の支障はありません。
4 結論
申立の趣旨記載の通り、氏の変更の許可を申立します。
〔参照〕原審(大阪家 昭60(家)1257号 昭60.6.19審判)
主文
本件申立を却下する。
理由
1) 申立の趣旨及び実情
申立人は、申立人の氏を「金」に変更することを許可する旨の審判を求め、その実情として、別紙〔略〕記載のとおり主張している。
その実情の要旨は、
(一) 国籍と民族は異なるもので、アメリカの日本人が国籍は米国籍でも、ジャネット・山田などのように日本の名前を名のつていることがあたりまえと言える昨今で、民族意識から言つても、是非「金」と氏を変更することを許可されたい。
(二) 申立人には「金」という氏を永年使用している事実があり、学校職場において「金」姓を名のることは重要で、「金」と氏の変更をしないと社会的にむしろ支障がある。
2) まず、申立人の主張(一)の点について判断する。
後記3)で認定するとおりの各事実が認められる本件にあつては、右認定事実によると、申立人の心情は察するに余りあるものがあるが、凡そ、戸籍法第107条第1項に規定する「やむを得ない事由」とは、国民生活上社会的に氏の変更をしないといちじるしく支障をきたすような客観的事由が存する場合を指称し、申立人の主張する民族感情によるような場合はこれに含まれないものと解するのが相当である(同旨、大阪高等裁判所管内家事審判官協議会昭和59年9月28日協議参照)から、上記申立人の氏の変更を要する旨の主張はこれを採用するに由ない。
3) 次に、申立人の主張(二)の点について判断する。
本件記録に、同記録添付の第1ないし第93号証、当庁家庭裁判所調査官の調査の結果(同調査官の表札についての電話聞き取り書を含む)及び申立人本人の審問の結果を併せ考えると、次の各事実が認められる。
即ち、 (1) 申立人は、昭和31年1月4日阿部野区○○町(その後○○町×丁目に地名変更)に於て韓国籍金福栄、同洪エツ子の二男として出生した。そして、父は飲食店を営み、日本の氏として通称「山東」を称していた。山東は本貫の地名で、父方の祖父が来日以来使い始めたもので、その後帰化して「山東」を称した期間を合算すると、申立人は、金姓を通称として使用する前約20年間「山東」姓のみを使用していること。
(2) 申立人は、昭和37年4月○○小学校に入学、氏名は「山東順二」を使用していた。そして、昭和46年4月府立○○○高校に入学し、昭和46年7月父母及び兄と共に日本国籍に帰化、それまで通称として使用していた「山東順二」がそのまま戸籍上の氏名となつたこと。
(3) 高校3年生になり、進路問題に関連して、帰化しても朝鮮人として差別されることがあることを知り、悩むうち、朝鮮に関する書物を読んで、申立人は、自分の民族についての従前の認識を改めて行つた。そして、3年生の2学期末頃、友人の一部に対して「キム」(「金」の朝鮮語読み)と自称し始めたが、記録に残るような使い方はしていなかつたこと。
(4) 申立人は、昭和49年4月○○大学外国語学部朝鮮語科に入学した。同学科は1学年40名定員で、学生の殆んどは日本人であるが、5~7パーセント位韓国籍の学生がいた。
また、申立人の進路選択に影響した従姉の金純子は同学科の1年先輩であつたこと。
(5) 大学入学後、申立人は「山東」と呼ばれるようになり、更にもとの朝鮮の氏を称すべきだと、友人らから指摘されて、「金順二」を氏名として使い始めた。大学での学業は魅力的で、積極的に強勉するなかで、朝鮮人の友人、知人が増えていつた。また、他方では、高校時代山岳部にいた関係で、社会人等の登山グループ「大阪○○○の会」に、大学に入学して1年後に入会し、入会当初から、会の皆んなからは、「金さん」という呼び名で呼ばれ、日本中の沢登りに同行したこと。
(6) 申立人が、大学3~4回生に進んだ頃、○○大学内に事務局が置かれていた朝鮮学会に入会し、また、日本における朝鮮学の二大団体の他の一つである○○○○○○の会員になつた。そして、金順二教諭として研究発表をしたこともあること。
(7) 申立人は、大学4回生になつて、東淀川区○○中学校のクラブ活動「朝鮮文化研究会」の講師として週1回招かれ、朝鮮人子弟の教育に関心を抱くようになつた。そして、○○中学枝に於いて教育実習をし、朝鮮語と社会科の教員免許を取得したこと。
(8) 申立人は、昭和53年3月、○○大学を卒業し、大阪府立○○○○高等学校(定時制)教諭に就職した。ここでは、朝鮮語を教え、クラブ活動の朝鮮・文化研究会及びバトミントン部の顧問をしている。同高校の朝鮮人の在校生は7パーセント位であり、その生徒達には外国語として朝鮮語を選択するよう働きかけるが、全校生の約三割が朝鮮語を選択していること。
(9) 申立人は、職場においては、給料袋以外は、すべて「金順二」として通用していること。
(10) 申立人は、昭和54年11月関西○○○○に入会したこと。
(11) 申立人は、昭和56年10月、韓国籍李福順と婚姻したが、性格の不一致が原因で、昭和58年1月離婚したこと。
(12) 申立人は、現在も府立○○○○高校(定時制)に教諭として朝鮮語を教えるかたわら、在日朝鮮人の生き方や子弟の教育について考え、自らの実践をもふまえて、講演したり、意見発表をしている。また、外部から依頼されて、朝鮮語そのものを教えていること。
(13) 申立人は、以上のように○○○○高校に勤め出してからここ7年間は殆んど「金順二」を使用しており、学校の教員名簿、学校教育計画等にも「金」姓が使用されており、教育上も「金」姓と変更することが好都合であるし、同僚も「金」姓への変更の要望書を書いていること。
(14) 申立人の両親も「金」姓への変更に同意していること。
(15) 表札は、現在、造り付けの郵便受けに金(山東)と表示していること。
以上の各事実が認められる。
凡そ、戸籍法第107条第1項にいう「止むを得ない事由」とは、同条第2項の「正当な事由」と異なり、よりきびしい事由が必要と解される。即ち、「正当な事由」で足りる「名の変更」の事由としては、以上認定のとおりの各事実の認められるような場合には「正当な事由」があると解するのが相当であるが、第1項にいう「止むを得ない事由」とは、前記第2項規定の「正当事由」よりその要件が著しくきびしく、例えば、「内縁の妻が20数年間事実上婚家先の氏を称し、夫の死亡後も、その家事一切を処理し、祖先の祭祀を主宰してきた等の事情が存する場合(永年使用としての場合)」や「25年間養家先の「大久津」という氏を称して社会生活を営んできた養子が、離縁により難解な「峯苫」という氏に復した場合に、この氏を「大久津」に変更する場合(永年使用としての場合)」等には戸籍法第107条第1項に規定する「止むを得ない事由」が存すると解されるが、(その期間は必ずしも20数年以上を要するとは限らないとしても、)申立人についての以上認定の各事実関係の程度では、未だ、永年使用として「止むを得ない事由」に当るとは言い難く、申立人の心情は理解できないでもないが、未だ「止むを得ない事由」が存するとは言えないから、申立人のこの点についての主張もこれを採用するに由ない。
4) ところで、氏の変更は、呼称秩序の静的安全の確保という法益と個人の氏の変更意志と変更事由との尊重という法益の比較衡量により判断されるところ、後者にむしろ比重を置くべきことを強調する考え方も存しないわけではないが、かかる考え方は、他の多くの裁判例同様当裁判所としては、にわかに賛同しがたい。
5) その他、前記認定事由により、また、記録を精査し、資料を検討しても、申立人の求める氏の変更を要するに足りる「止むを得ない事由」に当たるような事実を見出すことができない。
6) 以上のとおりであつて、申立人の本件申立は、戸籍法第107条第1項に規定する「止むを得ない事由」が存しないものといわねばならないから、失当として、これを却下することとする。
よつて、主文のとおり審判する。